レコードも本も、本当にこのまま捨てられなかったら、
自分が死んだ後、どうなっちゃうのだろう?
これはちょっと考えないとイカンね。
その旨を遺言にちゃんと書いておいた方がいい。
しかし、書いておいたところで、後始末をする身になったら、
「そんなの書く暇があったら、自分で捨てておいてくれよ~」
って言いたくなるだろうね。
遺品整理業という商売が成り立っているくらいだから、
捨て切れなかった故人と、片付けられない遺族がけっこういるわけだ。
さらにまたそんな話も、歳の順に死ねば、であって、
ある日突然ってことになったら、これもまたシンドイ話だ。
高校時代から数えてみると、
死んだボクの友人、知人たちはみんなサドンデス。
なにを残したか知らないけれど、
見られて困るものがなかったとは言えない。
「クラスのAちゃんってどんな子?」
亡くなった友人の母親からお通夜の時に聞かれた。
「えっ?」
「あの子の日記にね、書いてあったのよ~」
「ありゃ~!」と思った。
Tのやつめ、なに書いていたんだろう?
Aをおかずにしてるとか、いつも言ってたからな~。
余命がわかるのは、辛いことではあるけれど、
後始末、後片付けが自分でできる猶予がもてるという
意味においては悪いことではないかも知れない。
ボクがたまに行く西麻布のバー。
Jのイニシャルをもったある人が亡くなり、
そのJが生前収集していたレコードをどうするかということになり、
親友が、そのレコードを保管するだけのために店を開き、
店名をJ-Stockとした。
Jのストックということだね。
亡くなったJさんとは面識がなかったけれど、
なかなかいい趣味だったので好感をもっている。
さて、iT全盛、情報通信華やかりし今時の問題。
これを書いてるPCの中にある秘密の写真、
iPhone(携帯)の中に存在する怪しいメール。
どうする?
いつ捨てる?
ついでに言う。
このブログ、どうなる?
30年後、ボクの孫が検索して見つけ出す。
「爺ちゃん、こんなバカなことを書いていたのか~」
恐ろしい~
ちなみに、丹波哲郎氏は未だにブログから、
メッセージを送り続け、霊界サロンの会員も募集している。
見習うか・・・?
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