2011/08/03

昔、お世話になったO氏が亡くなった

バイト先(広告会社)の社長。

昔・・・。 大昔・・・。

学生時代の話だ。

その後、交流があったわけではない。
にもかかわらず、当時の仲間から連絡が入った。

「今晩、お通夜なんだけど、行かないか?」
「どうして? 今さら?」

誘う方も誘う方だが、不思議なもんで、
一瞬、行くべきか、考えてしまった。

結局、お通夜には行かなかったが、
嫌がおうにも当時の記憶が甦った。

バイトは今で言うところのセールスプロモーションというやつ。
宣伝がらみの作業をなんでもかんでもやらされた。
でも、20歳そこそこの青二才のボクには、
やることなすこと新鮮で、面白くて仕方なかった。

新橋演舞場や日生劇場で観客に弁当くばり。
歌手やダンサーを引き連れ、スキー場でイベント。
商店会のゴルフ旅行に同行し、宴会のストリップショーで照明係。
結婚式で披露する新郎新婦のイメージ映像の作成。
作家や俳優の家限定で、御園座のお中元を直接宅配。
デパートのショールームの運営。
お歳暮用のかりんとう詰め。

とにかく事務所に舞い込む仕事はなんでもやらされた。

バイト代は週払い。
支払い日、銀座の事務所に受け取りに行くと、
決まってO社長は不在で
「雀荘にいるから」と伝言が残されていた。

行くと、銀座界隈に巣食っている
怪しげなオヤジたちが卓を囲んでいる。

「ちょっと待っててな。もうすぐ終わるから」

その当時の銀座。
はっきり言って、子どもの来るところではない。
大人の匂いとでも言うのか、独特の雰囲気が漂っていた。
ボクはそこに憧れ、魅せられていた。

オヤジたちの麻雀が終了。
「よし、今度はおまえらだ。場代は俺がもってやるから、とにかく座れ」
バイト代を受け取る前に1卓囲むことが常だった。

魂胆はみえみえだったが、
「負けるもんか!」
根が嫌いじゃないから、ボクらバイト仲間3人はそれにのった。

O社長と学生バイト3人との麻雀が始まる。
レートはテンピン。
当時の学生にしては命がけだ、ちょっとオーバーだが、
��週間分のバイト代が小一時間で消えるレートだ。

まだ、手積みの時代。
手練手管、口八丁手八丁、ゴマカシ、ハッタリ・・・
O社長はあらゆるズル賢い手段を駆使した。

詰め込みは当たりまえ。
イカサマもどきは当然のことで、
しかし、それを承知で、その裏をとろうと、
断固、立ち向かった学生バイト3人だったが・・・

麻雀の集計用紙の最後にバイト代が書き込まれ、
「はい、おまえ、マイナス5000円な。おまえはプラマイゼロか、頑張ったな~。ハハハ~」

バイト代をまともに受け取った記憶がない。

こういうことをお世話になったというのか、わからないが、
ある意味、鍛えられた部分はあったかも知れない。

学生バイトの他のふたり。
現在、ひとりはNEXCOの社長、もうひとりはNHKの役員になっている。
あの時があるから今がある?
そんなわけはない!

実は3年前、O社長に突然呼び出された。
80歳を越えたO社長は、若き後妻を横にし上機嫌だった。

「ボクはね、まだ現役なんよ、アハハ」
「自分でもまだやってるよ、欠かしちゃダメね~」
「ほら、アメリカ人ダンサー、覚えてる? ボクに惚れてた」
「女優の〓〓、デビュー前はボクと付き合ってたのよ」
「今でもナンパするよ。声かけるとうれしがるんだ、おばちゃん」

「斉藤君にはこれからいろいろ世話になるよ」
勝手に決めていた。
��自分史>の出版を考えているようだった。
武勇伝、自慢話がいっぱいあったのだろう。

しかしボクは、忙しさを理由に
協力できない旨をやんわりと伝えたのだ。

その時、瞬間的にボクの脳裏にひらめいたこと。
「この人、絶対にギャラを払ってくれないぞ」

O社長のご冥福を謹んで祈り申し上げます。

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