バイト先(広告会社)の社長。
昔・・・。 大昔・・・。
学生時代の話だ。
その後、交流があったわけではない。
にもかかわらず、当時の仲間から連絡が入った。
「今晩、お通夜なんだけど、行かないか?」
「どうして? 今さら?」
誘う方も誘う方だが、不思議なもんで、
一瞬、行くべきか、考えてしまった。
結局、お通夜には行かなかったが、
嫌がおうにも当時の記憶が甦った。
バイトは今で言うところのセールスプロモーションというやつ。
宣伝がらみの作業をなんでもかんでもやらされた。
でも、20歳そこそこの青二才のボクには、
やることなすこと新鮮で、面白くて仕方なかった。
新橋演舞場や日生劇場で観客に弁当くばり。
歌手やダンサーを引き連れ、スキー場でイベント。
商店会のゴルフ旅行に同行し、宴会のストリップショーで照明係。
結婚式で披露する新郎新婦のイメージ映像の作成。
作家や俳優の家限定で、御園座のお中元を直接宅配。
デパートのショールームの運営。
お歳暮用のかりんとう詰め。
とにかく事務所に舞い込む仕事はなんでもやらされた。
バイト代は週払い。
支払い日、銀座の事務所に受け取りに行くと、
決まってO社長は不在で
「雀荘にいるから」と伝言が残されていた。
行くと、銀座界隈に巣食っている
怪しげなオヤジたちが卓を囲んでいる。
「ちょっと待っててな。もうすぐ終わるから」
その当時の銀座。
はっきり言って、子どもの来るところではない。
大人の匂いとでも言うのか、独特の雰囲気が漂っていた。
ボクはそこに憧れ、魅せられていた。
オヤジたちの麻雀が終了。
「よし、今度はおまえらだ。場代は俺がもってやるから、とにかく座れ」
バイト代を受け取る前に1卓囲むことが常だった。
魂胆はみえみえだったが、
「負けるもんか!」
根が嫌いじゃないから、ボクらバイト仲間3人はそれにのった。
O社長と学生バイト3人との麻雀が始まる。
レートはテンピン。
当時の学生にしては命がけだ、ちょっとオーバーだが、
��週間分のバイト代が小一時間で消えるレートだ。
まだ、手積みの時代。
手練手管、口八丁手八丁、ゴマカシ、ハッタリ・・・
O社長はあらゆるズル賢い手段を駆使した。
詰め込みは当たりまえ。
イカサマもどきは当然のことで、
しかし、それを承知で、その裏をとろうと、
断固、立ち向かった学生バイト3人だったが・・・
麻雀の集計用紙の最後にバイト代が書き込まれ、
「はい、おまえ、マイナス5000円な。おまえはプラマイゼロか、頑張ったな~。ハハハ~」
バイト代をまともに受け取った記憶がない。
こういうことをお世話になったというのか、わからないが、
ある意味、鍛えられた部分はあったかも知れない。
学生バイトの他のふたり。
現在、ひとりはNEXCOの社長、もうひとりはNHKの役員になっている。
あの時があるから今がある?
そんなわけはない!
実は3年前、O社長に突然呼び出された。
80歳を越えたO社長は、若き後妻を横にし上機嫌だった。
「ボクはね、まだ現役なんよ、アハハ」
「自分でもまだやってるよ、欠かしちゃダメね~」
「ほら、アメリカ人ダンサー、覚えてる? ボクに惚れてた」
「女優の〓〓、デビュー前はボクと付き合ってたのよ」
「今でもナンパするよ。声かけるとうれしがるんだ、おばちゃん」
「斉藤君にはこれからいろいろ世話になるよ」
勝手に決めていた。
��自分史>の出版を考えているようだった。
武勇伝、自慢話がいっぱいあったのだろう。
しかしボクは、忙しさを理由に
協力できない旨をやんわりと伝えたのだ。
その時、瞬間的にボクの脳裏にひらめいたこと。
「この人、絶対にギャラを払ってくれないぞ」
O社長のご冥福を謹んで祈り申し上げます。
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